本当の心地よさって、一人では作れないと気づいたから ~はじめましてのご挨拶~ 

こんにちは。
ブログ「心地よい未来のつくり方」管理人のマキレイです。
 
このページを開いてくださり、
ありがとうございます!
 
 
このページでは、 わたしの自己紹介とともに、
「なぜこのブログを立ち上げたのか」
「どんな思いで書いているのか」
というお話をさせていただきます。
 
 
まだ四十数年しか生きていない若輩者ですが、
これまでの過程で考えたり、悩んだり、
もがいて行動してきたことが、
もし何かのお役に立てればいいな、
という思いもあります。
 
 
また、共感してくださる方がいらしたら、
さらに嬉しさが倍増するので、

あなたにお手紙をお届けするつもりで書いていきます。

人生を変えた10歳のできごと

 
 
私は大学卒業してから、
自然環境NGO(非政府組織)の職員として働いた後、
フリーランスで、環境関係のデータ解析やライターの仕事を請け負ったり、
ボランティアで自然保護活動を続ける、という生活を送ってきました。
 
現在では、インターネットを使ったビジネスも同時に進めています。
 
 
15年以上 、自然環境にかかわることに携わってきましたが、
そのほかにも、聴覚障害者のサポートや、
災害地の復旧支援ボランティア、
飼い主に捨てられた犬を家族に迎えることなど、
いくつかのボランティアにかかわれる機会もありました。
 
 
 
こういったことを自慢したくて書いているわけではありません。
 
 
「ボランティア活動をしてるなんて偉いね」
「意識高い系?」
 
と、遠い目で見ないでいただきたいのですが(笑)、
最近、どうしてこういう活動を自分がしたいと思うのかなぁ、
とじっくり考えてみる機会がありました。
 
 
その源流をたどると、10歳の時の出来事に行き当たりました。
 
 
 
 
私は青森県の弘前市という城下町で生まれました。
リンゴ畑と桜の木に囲まれ、
津軽富士と呼ばれる美しい岩木山を見ながら育ちました。
 
 
結構おっとりとした性格で、
これと言った特技も、好きなことも何もない子どもでしたが、
小学4年生になって、激変します。
 
 
記録によると、1986年5月22日のこと。
 
校庭でドッジボールをしていたら、
ボールが大きくズレて、
校庭の裏の茂みの方へ転がっていってしまいました。
 
急いでボールを取りに行くと、
その茂みの奥の小川で、
ガサゴソと生き物の気配がしました。
 
そっと息を止めて見ていると、
1羽のカモと、
丸くてフワフワした子ガモ5~6羽が、
サーっと出て逃げていきました。
 
「うわ~! かわいい! カルガモの親子だ!!」
 
 
 
 
どうして「カルガモ」だと分かったかというと、
当時、東京のど真ん中のビルの池に住むカルガモの親子が
連日テレビに取り上げられていたんです。
 
子ガモが大きくなると、もっと広い場所で生活するために、
皇居のお堀にお引越しをするのですが、
カルガモの親子が無事にお引越しできるよう、
警官が交通整理をして見守る、というほほえましいニュースでした。
 
 
 
青森の田舎娘は、
テレビの中で見ていたカルガモが、自分の目の前にいる、
ということにも驚き、興奮しました。
 
 
と、同時に、
 
「みんなに見つかったら、カルガモが逃げちゃうし、
ヒナも大きくなれないかもしれない!
秘密にしておかなくちゃ!」
 
と思い、その時は何事もなかったように、
 
みんなのドッジボールの輪の中に戻りました。
 
 
次の日、仲良しの「えっちゃん」と「さっちゃん」にだけ、
カルガモの話をして、3人で再び見に行きました。
 
そーっと遠くから見ていると、
やっぱりカルガモの親子がいました。
昨日よりずっと、ゆっくりのんびりした様子です。
 
この日から、3人でカルガモの
「かんさつノート」をつけることにしました。
 
毎日、中休み(午前中)に観察に行って、
昼休みに図書館でその様子を絵日記にして、
担任の優子先生の机の上に置いておくと、
帰りまでに先生が読んでコメントをつけて返してくれる。
 
もちろん、他のクラスメートには絶対内緒。
 
今思うと、「かんさつノート」は、
自分の大事な宝物を、こっそり大好きな優子先生に教えてあげる、
という気持ちで書いた、交換日記のようなものでした。
 
これは、優子先生が担任をしてくれていた1年間、続きました。
 
 
 
 

「どうして大人は、自然を壊してしまうの?」

晴れていれば毎日校庭の裏の小川に観察しにいき、

雨の日は、「カルガモどうしてるかな」
と想像したことを書いたり。
 
 
そのうち、カルガモだけではなく、
その周辺にいるほかの鳥にも目が行くようになり、
図書館で野鳥について調べたことを書いてみたり。
 
 
とにかく、10歳の私の頭の中は、鳥でいっぱいでした。
 
小学生用の図鑑は隈なく読んで、ほぼ暗記しました。
 
40歳を過ぎた現在でも、
その時の記憶がまだ残っていて、
実際に見たことがない鳥でも、
色と形を見ればすぐに名前が出てきます。
(ただし、鳴き声の聞き分けがきないのは残念ですが・・・。)
 
 
そのうち、鳥だけではなく、
周りの環境のことも気になりだしました。
 
カルガモがいる川にゴミが散乱していること、
近くのアパートからの排水が直接流れ込み、洗剤で泡立っていること。
 
そして、カルガモが近くの大きな沼にお引越しした時に、
コンクリートの側溝に落ちて1羽の子ガモが死んでしまったこと・・・。
 
首の折れた子ガモが
まだ生きてるのに何もしてあげられなくて、
私の手の中で息を引き取ったことは、
今思い出しても胸が痛みます。
 
その時の子ガモの表情と体温が忘れられません。
 
 
そして、
 
「自然が無くなったら、
人間も動物もみんな生きていけないのに、
どうして大人は自然を
汚したり壊してしまうのだろう・・・」
 
「人を殺しちゃダメって言いながら、
どうして戦争をしてるんだろう?」
 
という疑問というか、怒りに似た感情を抱いていました。
 
 
 
4年生の1年間は鳥のことで頭がいっぱいでしたが、
5年生になると担任の先生が変わり、
ミニバスケットボール部に入って忙しくなったことも重なり、
徐々に「鳥熱」は下がっていきました。
 
 
しかし、その鳥熱の後遺症は、
私の潜在意識には残っていたようで、
大学4年の時に、
たまたま新聞で自然保護団体(NGO)の求人を見つけ、
「面白そうだな!」と思ったことをきっかけに応募。
めでたく採用され、働くことになりました。
 
10年以上、今も続けている森林保全のボランティア活動も、
やはり鳥熱がなければ続けていなかったと思います。
 
そして、社会人になってからは、
自然環境に限らず、興味があってできそうだと思うことには、
チャレンジしてきました。
 
 
 【 リンク】
「聴覚障害者の耳になる パソコン要約筆記者とは」
「被災地ボランティアで感じたこと 平等な不平等」
「ペットを飼うための新習慣 保護犬を家族に迎えるということ」

居心地の悪さが大嫌いだから、心地よさを追求すると決めた

20~30代は、興味を持ったことに、
手あたり次第、手足を突っ込み、
その過程でいろいろ迷い、悩み、
ぶつかり、紆余曲折ありました。
 
それでいて、何か一つのことを成し遂げたわけでもなく、
これと言って自慢できることは何もありません。
 
 
「自分が人生で求めているものや、追及したいものって何なんだろう?」
と、ずっと考えていました。
 
いわゆる「自分探し」ですね。
 
 
でも、最近は、
「自分の中に答えはないんじゃないか」
と思っています。
 
 
つながったご縁や出来事を大事にしながら、
目の前のことを大事にしていく。
 
 
その積み重ねをしていて、
しばらくして振り返ってみると、
何か形になっているのかもしれない。
でも、別に形になっていなくても、
それはそれでいいのではないか。
 
 
そう思ったら、身も心も軽くなりました。
 
 
これって、20代、30代の頃には味わえなかった
「いい加減さ」のように思います。
 
 
逆に、身軽になったらふっと湧いて来た答えが、
「心地よさの探求」という言葉でした。
 
 
大好きなカルガモが、
ゴミや洗剤の泡に囲まれているを見るのは、
胸が痛み、心地が悪い。
 
美しい自然がいっぱいあるように見える佐渡島で、
赤茶けて枯れた山を見るのは心地よくない。
 
ビニール袋が胃からたくさん出てきた
クジラの死骸をニュースで見るのはイヤ。
 
だから、自分ができることは何かないかな、と考えてみて、行動してみる。
 
 
耳の聞こえない障害を持った方の孤独を知って、
自分が得意なタイピングを生かせそうだと思いついたこと。
 
自分が知らないところで飼い主に捨てられた犬が殺処分される一方で、
ペットショップでは子犬という「命」が商品として売り買いされているのを見ると、
「犬を飼うなら絶対保護犬にしよう」と決めたこと。
 
被災地の方々の様子をテレビで見て、
「私はお金も時間も家族の理解もある、恵まれた人間だ。
何かできる事があれば現地に行ってみたい」と思ったこと。
 
 
それらは全部、
「自分もみんなも、心地のよくなる解決方法の一つなんじゃないか」、
と自分なりに思った結果だと気づいたら、腑に落ちました。
 
 
私は、居心地の悪さが何よりも嫌いで、
他人のことでも自分のことのように
「痛み」を感じてしまう性質があるようです。
 
 
そして、
同じ方向の志を持つ仲間と共に行動し、
ほっと一息つく時間の、
何とも言えない心地よさ。
 
 
そんなとき私は、
「本当の心地よさは、自分一人では作れないものなんだな」
と感じます。
 
 
 

心地よさの源泉を見つけ出そう

どんな人にも、千差万別の「心地よさの基準」があると思います。
 
その上で、人類みんなの最大公約数の「心地よさ」を探りたい。
 
 
周囲の環境や人間関係にストレスがなく、
身体のどこにも違和感がないリラックスした状態。
 
快適な温度と室温の静かな環境。
自分が好きなことに没頭できる時間。
美しく雄大な景色を前にした時の気持ち。
 
 
こんな心地よい世界や未来をつくるために、
できることをシェアしていきたいと思っています。
 
 
当初予想していた以上に、
ちょっと壮大な話になってしまいましたが・・・。
 
 
 
10歳の時には、「どうして環境を壊すの?」
と大人に怒りを持っていたけど、
 
40を過ぎ大人になった今は、
「みんなが心地よくなる世界や未来は、どうすれば作れる?」
という問いかけを持っています。
 
10歳の頃の純粋な気持ちと一緒に、

このテーマを追っていきます。

ネットビジネスに出会って広がった未来

 
 
それと同時に、
数年前に出会ったインターネットを使った
ビジネスの可能性も探求します。
 
「自分の思い」や「良いと思うモノ(コト)」を伝える手段として。
 
まだ出会えていない仲間とつながるツールとして。
 
そして、
お金にならないボランティア活動の資金のために、
少なくない額の収入を得る方法として。
 
 
 
以前は「ネットビジネス」と聞くと、
下品な件名の迷惑メールから連想される「怪しさ」を感じていましたが、
まっとうに、世のため人のためになるネットビジネスをしている人が、
世の中にはたくさんいることを知りました。
 
今は、ネットビジネスのスキルは、
誰もが身につけられる、誰もが身につけるべき、
現代の錬金術だと思っています。
 
 
【 リンク】
「コネも、知識も、スキルも無し」の状態から、インターネットを使って収入を得る方法」
 
 
 
長々と、今私が考えていることを書いてきました。
 
思いや価値観に共感してくださいましたら、
日々の気づきや思いを綴るメールマガジンに、ぜひご登録ください。
 
感想や「心地よさ」についてのお話も、お送りいただけると嬉しいです。
 
 
長い手紙を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
どこかで、お会いできますように。
 
 
マキレイ

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